阪神・岩田稔の母・律子さん あの奥さんじゃないと、ここまでできなかった

 ナインに胴上げされる岩田稔(撮影・高部洋祐)
 岩田稔(左)は藤浪と秋山から花束を贈られる(撮影・山口登)
 岩田稔(左)をねぎらうサンペール(撮影・山口登)
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 高校2年の冬に発症した1型糖尿病と闘いながら、タテジマ一筋で16年間プレーした阪神・岩田稔投手(37)が26日、現役最後の日を迎え、中日戦後に引退セレモニーに臨んだ。母・律子さん(65)は引退に際し、デイリースポーツに手記を寄せた。

  ◇  ◇

 稔、16年間お疲れさまでした。引退会見の後、自宅近くまで会いに来てくれた時に「あんた、いいお嫁さんに来てもらったね」と伝えました。あの奥さんじゃないと、ここまでできなかった。日常生活を支えてくれて、ありがたく思ってます。

 幼い頃から運動神経がいい子でした。野球をやりたいと言ったのは小学1年の時。お父さんから「ボールを捕れるようになったら野球チームに入っていい」と言われると、黙々と壁当てで練習して「捕れるようになったで!」と。門真シニアに入ってからは、淀川の土手を毎日一人コツコツ走って。あのおかげで足腰が強くなったのかなと思ってます。

 高校2年の冬、1型糖尿病を発症した時は「2型は知ってるけど、1型って何?」って驚いて、一晩中、泣きました。稔も「野球できへん」て落ち込んでたけど、ガリクソン(元巨人)の本を読んで「できるやん!」て。親としても「しゃーない、なってもうたのは。本人が一番しんどいんやから」と思えるようになりました。

 高校卒業時には病気が理由で社会人チームに内定を取り消されて、大学に進学しました。「オレ、やり返したい。野球頑張る」とジムに通い始めて。そのチームに勝った時は「勝ったでー、やったー」と大喜びでした。「良かったね」と伝えましたが、こっそりお父さんと見に行ってました。

 親としては病気があるから社会人チームに進んでほしいという希望を持っていました。かかりつけの病院に通える球団がいいなあと思っていた時に、阪神の山口高志さん(当時スカウト)が声をかけてくださって、ありがたかったです。プロ野球選手は小学生からの夢。最後は「自分で選んだら一生懸命やるだろう、親にも弱音は吐かないだろう」と考えました。

 もう野球をする姿を見られなくなるのはさみしいけど、周りの方に恵まれて「ようやった」と思っています。

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