阪神・藤川監督から亡き親友へ 「まっちゃん、オレ、大丈夫だったやろ。また泣いてるやん、まっちゃん-」
「広島6-4阪神」(3日、マツダスタジアム)
猛虎の黄金期到来だ。優勝マジックを1としていた阪神は広島に敗れたものの、2位・巨人がDeNAに敗れたため、2リーグ制以降では球団史上初となるリーグ連覇が決まった。藤川球児監督(46)は宿敵・巨人とのデッドヒートを制し、史上初めて「1位・阪神、2位・巨人」でゴールテープを切った。新人監督からのセ・リーグ連覇は初の偉業となった。
◇ ◇
最期の言葉も「球児」だった。「あいつ、来んでええのに…」だった。
6月8日、未明。梅雨の湿気でぬれた青葉が鮮やかに映える頃だ。藤川監督は一番の友を亡くした。松下雄一郎さん、享年55歳。元デイリースポーツの記者で「火の玉ストレート」の呼称を生んだ。「ファンに戻る」と言って会社を辞め、理解者でありたいと、友として監督に寄り添った。僕にとっては師匠だった。
「もう、いつ死ぬか分からんぞ」。そう言いながら笑っていたのに、別れは突然だった。7日、深夜。昏睡状態に入ったと知らせを受けた藤川監督は、着の身着のままでタクシーに飛び乗った。「もうすぐ球児さんが来てくれるよ」。遠ざかる意識の中で、家族の言葉に反応して口を開けた。
「あいつ、忙しいのに。来んでええのに」
タクシーが到着したのと、ほぼ同時刻に息を引き取った。マンションの正面玄関に着くはずが、なぜか裏口に止まったことで数分遅れた。本当なら間に合うはずだった。会えば、別れがつらくなる。だから、先に逝くわー。そんな最期だった。
亡きがらと対面した藤川監督もまた、思いを理解したように明るく振る舞った。「まっちゃん、わざとやろ。玄関から入る時にブワッと風が吹いたで。あれ、まっちゃんやろ。優しすぎるぞ」。不思議な夜だった。「なんで待ってくれんかったん。泣けないやんか」。ぬくもりが残る手を何度も握り、愛(め)でるように何度も頭をなでた。
「これからずっと一緒に戦えるな、まっちゃん。どこにでも一緒に行けるよな。な、そうやろ。一緒やからな。よっしゃ、まっちゃん、行くぞ」
口癖が、自然とリンクした。いいか、球児。お前はすごい監督になる。誰も成し遂げていないことをやる。よく聞け、球児。お前なら、大丈夫だ。よっしゃ、いったろか-。胸に友の声が残る。
2時間ほど、最期の別れを終えて自宅を出た。「まっちゃん、なんでオレだったんかな。なんでそう思ったんやろうな…」。どんなに知りたくても、答えを教えてくれる友はもういない。「やっぱり、もう一回、会っとくわ」。そう言ってまた自宅に戻り、惜しむように手を握った。自問自答をしながら歩む孤独な道。だから迷い、立ち止まった時に言い聞かせた。「オレなら、大丈夫」。
生前。藤川監督もまた、思いをつづった色紙を贈っていた。「これ見て、泣いてるやろ。すぐ泣くんやから…」と笑って。
まっちゃん…
勝手にゴール決めるな。
人生は絵書いた通りにならないことを、あなたは一番知っている。
近いうちにまた、一緒に戦うでしょう
俺達の語らいは、いつも実現する。
藤川球児
「どうか球児を、頼みます」。そう言って息を引き取ってから、はや4カ月がたとうとしている。師匠はいつも阪神を「猛虎」と書いた。厳しくも愛のある筆には、ぬくもりとエールを込めた。「球児の連覇を見届けるまでは絶対に死ねない」。志半ばで旅立ったが、猛虎は激戦を制し、もう一つの願いはかなった。
師匠、見てますか。優勝です。連覇です。師匠、会いたいです。
10月3日。ついに2人の夢は結実した。リーグ連覇が決まった直後、藤川監督は涙を流した。星になった友を見上げるように、こぼれそうになる涙をこらえるように。「やってきたことが間違いではなかったと証明できた」。まっちゃん、オレ、大丈夫だったやろ。また泣いてるやん、まっちゃんー。(デイリースポーツ阪神担当キャップ・田中政行)
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