マルテとの直接対話
【8月30日】
2試合ノーヒットだったら、ざわ…。3試合ヒットが出なかったら、ざわざわざわ…。え~っと、彼は何打席でした?そんなにヒット出てないんですか??それはもう「ざわ」がいくつあっても…。
佐藤輝明にヒットが出ない。数えてみれば、25打席ノーヒットだという。リフレッシュも兼ねてスタメンを外そう…いいと思う。彼のため、そして何よりもチームのために、矢野燿大は、その瞬間、しかるべきタイミングで決断しなければならない。「20打席無安打なら、当該選手をスタメンから外すこと」なんて協約はもちろんないのだから、使うも、下げるも、そこは指揮官の裁量でしかない。
他球団の主力打者でも、そんな事例は過去たくさんある。
松井秀喜 32打席ノーヒット
岡本和真 32打席ノーヒット
新旧巨人軍の4番は奇(く)しくも、同じ数のトンネルを経験した。しかし、彼らは「スタメン落ち」していない…どころか、それでも4番を担い、33打席目に快音を響かせた。今これを文章にしても、へえ、そんなことあったんだ?くらいのものだけど、当時それを決断したリーダーはさぞかし胃が痛かったはず。だって、まさにその最中は、彼らが33打席目にヒットを打ってくれる保障なんてないわけだから。このトンネルがどこまで続いたら〈決断〉するべきか。人気伝統球団の将なら、内外から耳にする「ざわつき」の音量もハンパないと想像する。
結局、松井はあの大スランプの後どうなったか。
ひと月後に清原和博に4番を譲ったものの、球団では王貞治以来となる本塁打(34本)、打点(100打点)の2冠王に輝いた。長嶋茂雄政権の1998年、ゴジラ24歳のシーズンである。
では、岡本は?彼のスランプは18年。ときの監督・高橋由伸は、あのシーズン一度も岡本を4番から外さなかったわけだけど、7試合、32打席のトンネルを抜けた後は、すぐに12試合連続ヒットを放つなど、終わってみれば、プロ野球史上最年少での3割30本100打点を記録するターニングポイントになった。岡本、22歳のシーズンである。
佐藤輝は22歳。そして、ご存じのようにルーキーである。輝は6試合、24打席連続ノーヒットでスタメンを外れ、7試合、25打席快音から遠ざかる。このトンネルの先に、どんな未来が待っているかなんて分からないけれど、今まさに輝を一番側(そば)で見る矢野の判断を僕は支持したい。
輝のスランプもそうだけど、デイリーの読者が気になるJ・マルテのハナシを少しだけ…。
僕のツイッターにも「なぜ、矢野監督はジェフリーを使わないんだ」という類の投稿がたくさん入ってくる。僕の知ることを一つ書けば、矢野はずっとマルテを大切に思い、彼の起用を探っていた。そして、いつ、どこでとは書かないでおくが、自ら望んでマルテと会い、その思いを伝えるため直接対話を行った。この矢野の「あり様」を僕は支持する。=敬称略=