9・15に奏でた快音
【9月15日】
母が80回目の誕生日を迎えた。ケーキと贈り物をもって実家に顔を出し「おめでとう」と伝えると「もう、よう生きてきた」とお決まりのセリフ。これまで80年を振り返ってどう?そう聞けば…
「いろいろ、ありました」
母はそう言って笑うのだ。
いろいろ…か。そりゃ、そうやろうね。昔、さんざん苦労かけましたからね…なんてハナシをしながら、そういえば「覚えてる?」と聞いてみた。
18年前の9月15日のこと。母さんの誕生日に星野さんが胴上げされたやろ。
「あ…。あなた、家でテレビ見て喜んでたよね」
え??いや、ボクは取材で家におらんかった。あぁ、テレビ見てたのって、それは、85年やな。
18年前は、03年の優勝よ。母さんの誕生日にタイガース優勝したの覚えてるやろ?
そんなやり取りをしながら、当時を懐かしんだ。
あの歓喜を報じるデイリースポーツを振り返ってみると、1面は闘将の胴上げ。そして一枚めくって飛び込んでくるのが、星野仙一がめいっぱい抱きしめる背番号53…赤星憲広。わざわざ紹介するまでもなく、9・15のヒーローである。
劇的サヨナラ打で優勝を決めた当時の原稿を読んでみれば…
赤星はあの年、盗塁数と同数の車椅子を寄付するチャリティーを始めた。きっかけになったのは、骨肉腫と闘う女性ファンとの交流だった。その女性は同年4月、病気の進行を食い止めるため左足を切断…。それでも赤星に会うため神宮遠征で阪神の宿舎を訪れた。対面すると、その女性は車いすから立ち上がり、「赤星さん、どうか、長いシーズン体調に気を付けてください」-。
このとき、レッドは誓った。
「もう、絶対に痛いとか、つらいとか言わない…」
3割、ゴールデングラブ、61盗塁で3年連続盗塁王…03年、輝かしい個人タイトルがクローズアップされたが、赤星には、同シーズン、もう一つ誇りにするもの……「全試合出場」があった。
「新庄さんの穴は僕が埋める」
その公約を果たしたレッドスターを思い出せば、その彼の後継者を、いま思うのだ。
赤星以来となったルーキー年の盗塁王…そう、近本光司である。
この夜、背番号5は今季12度目の猛打賞。キャリアハイの13度まであと「1」とした。今年はセ・リーグ最多安打のタイトルへひた走る近本だけど、彼の功績で忘れてはならないことがある。
ここまで112試合。阪神で唯一、全試合出場を続けているのが近本であるということだ。
「個人タイトルを取ればいいということではないので…。優勝するために、勝つために、必要なところで必要なプレーをどんどんしていきたいと思っています」
選手会長は本紙の企画でそう語っていた。9・15に奏でた3度の快音が近本を勢いづけるものであることを願い…。=敬称略=