朝の浜風が夜やんだ

 【7月14日】

 甲子園の風はきまぐれだ。お昼にはためいていた球団旗が、夜は垂れていた。これほど浜風が吹かない日も珍しい。ということは…僕は佐藤輝明の放物線を期待しながら「伝統の一戦」を追った。

 7月まだホームランのない阪神の4番である。この夜は①右飛②右飛③空振り三振④空振り三振…輝の4打席を見れば伝わるものがある。最後の打席は1死無走者。スコアは3-0。狙っていい場面だったし、きっと本人もその気だった、はずだ。

 フェンスオーバーにこだわらない主砲などいない。しかし、無風の甲子園がかえって主軸を打つ左打者の力みを生むことだってあるかもしれない。この球場で「狙える」数少ないチャンスだから。

 サンテレビの放送席からロハス・ジュニアの右翼への一発を眺めた掛布雅之は言った。

 「きょう浜風が吹いていたら、いってないでしょうね」

 フェンスギリギリの飛球には見えなかったが、それでも「いっていない」と。これはもう、僕のような者が「そうかな」と疑うのもおかしい。長年甲子園をホームに戦った左の大砲にしか分からない感覚だと思う。

 長年甲子園をホームにといえば…本当に、おつかれさまでした。掛布がミスター・タイガースなら彼女はミセス・タイ…いや、僕ら報道陣のマドンナだった。緩やかな浜風がバックスクリーンの球団旗を揺らしたこの日の昼間、阪神球団初の女性広報として一時代を築いた村山久代が関係者から「送る会」を催され、労いをうけた。球団職員として45年間務めあげたマドンナは、この度定年退職。僕も大変お世話になった。

 「記者の皆さんと仕事をさせていただいたことは、難しい仕事ではありましたが、振り返れば楽しかった…。風さん、ご丁寧にメッセージいただいて、ありがとうございます」

 そんなふうに村山が「難しい仕事」と仰る意味は、よく分かる。虎番キャップの先輩でもあるデイリースポーツ現ビジネス局局長の中村正直が「担当記者にとっては『頼れる姉貴』だったよ」と振り返るように、できる限り、メディア側に立って動いてくださる優しさが染みた日は数え切れない。

 一番の想い出を探れば、15年の冬。金本知憲監督誕生の直後、取材を兼ねて報道陣が金本邸に集まった夜があり、そこに村山ら広報陣も駆けつけた。もっぱら野球談議に花を咲かせたわけだけど、金本も舌を巻く「村山節」もさく裂…(ちょっと筆は控えるが)。監督と報道陣、選手と記者の緩和剤としても、試行錯誤、様々悩みながら仕事を全うされていた。

 あらためて感謝しかないのだけど…あの夜、金本が甲子園の浜風がいかに強敵か、村山に分かりやすく説いていたことも、僕は忘れない。小笠原道大が甲子園で通算2本しか本塁打を打てなかった話も交え…。そういえば、はや通算134本塁打の村上宗隆もここではまだ8本。40発を目指す輝の挑戦の尊さが分かる。=敬称略=

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