京都で震えていた背中

 【8月9日】

 堀田柊(ほりた・しゅう)の完投をできれば近本光司に見届けてほしかった。甲子園球場の銀傘に照明が灯った夕刻6時過ぎ。最後の打者を一塁ゴロに仕留めた社のエースは、淡々と列に加わった。

 111球。無四球。見事なフィニッシュだった。夢にまで見た甲子園のマウンドで堀田は制球を乱さなかった。兵庫大会でも披露し続けた彼のストロングは健在。直球の伸び、そして、変化球のキレも申し分なかった。が、右腕にはガッツポーズも笑顔もなかった。 コロナ禍に見舞われた対戦校・県立岐阜商に礼を尽くす、彼なりの振るまいだったのか。縁あって堀田を中学時代から知る僕は、その心身の成長に鳥肌が立った。

 母校の「夏1勝」の瞬間、近本は横浜スタジアムのセンターポジションに就いていた。果たして、試合後どのくらい経ってその結果を聞いただろうか。夜のスポーツニュースで、今朝のスポーツ紙で堀田ら後輩の勇姿を見てくれただろうか。近本先輩はこの夜のDeNA戦で無安打。母校の初勝利に花を添えることはできなかったけれど、社ナインはきっと願っている。近本さん、甲子園で成長する姿をずっと見ていてください-。

 社の山本巧監督は、堀田と芝本琳平(ともに3年)を「ダブルエース」と呼び、揺るぎない信頼を寄せると聞いた。現に地方大会をその両輪で勝ちあがり、夏初出場を決めたわけだ。それ自体とても嬉しいことなのだが、堀田に関しては、僕自身、実は未だに夢を見ているような気もする。

 甲子園リトルシニアに所属した堀田の中学時代を知っている。か細く、制球の定まらなかったあの頃を振り返れば、感無量だ。

 彼は中学3年「最後の夏」を京都・西京極で迎えた。日本選手権大会予選の2回戦で、かつて岡本和真が所属した奈良の強豪・橿原磯城シニアの強力打線に捕まり、序盤であっけなくKOされた。

 渾身の直球がことごとくはじき返される。全国の舞台を目指したはずが、地区予選で、それも、たった2回で散った。上には上が…それもとてつもない上がいる。わかさスタジアムで15歳の堀田はがっくり肩を落とした。降板すると目を真っ赤に腫らしていた。

 スタンドから見たあの震える背中を今もはっきり覚えている。あれから3年。社のエースとなった堀田は聖地で堂々と腕を振り続けた。ありきたりな言葉かもしれないけれど、ここまで這い上がってきた彼の「努力」を想像する。

 そう…。努力といえば、先月、マット・マートンが、自身の球団記録「30試合連続安打」に並んだ近本へ送ったメッセージ、その中身について思う。努力。技術。能力。マートンはそんな言葉で称えていたわけだけど…近本がプロでこれだけの結果を残すとは、少なくとも、僕の身近で予知していた者はいない。だからこそ誰も知らないところで積み重ねてきたであろう「努力」の凄みを想像する。 夢を追う堀田の努力を先輩はきっと応援してくれている。それが嬉しい。=敬称略=

関連ニュース

編集者のオススメ記事

吉田風取材ノート最新ニュース

もっとみる

    スコア速報

    主要ニュース

    ランキング(阪神タイガース)

    話題の写真ランキング

    写真

    リアルタイムランキング

    注目トピックス