我慢できない気持ち
【8月28日】
「自慢の人脈」といえば、いいトシになれば誰しもそこそこいるかもしれない。僕にも何人かいるが、そのうちのお一方から連絡があった。28日紙面の当欄を読んでくださったようだ。
「きょうのコラムを拝読して懐かしくなりました。1998年、横浜ベイスターズの日本一で権藤監督に日本テレビ賞をホームベース上で渡したことは生涯の思い出です」
かつて日本テレビで執行役員を務めた平林邦介である。
初めてこの御方の話を当欄で書いたのは一昨年。私宛に「阪神タイガース再建のために」と、多くのご提案をいただいた。初めて読む方に平林の紹介を書けば、例えば…。
今年6月まで読売ジャイアンツ球団社長だった今村司が日テレスポーツ局時代の平林の部下であったように、巨人軍の偉いさんでその名を知らない方がいない…そんな人である。
1942年生まれ。1966年に日テレに入社し、報道、ドラマ制作で28年。その後、編成に異動…。出世街道で要職に就いたが、大きな声で言えなかった悩みは、1959年の天覧試合以来、村山実の虜になり阪神の大ファンになったこと。
「顔では常にジャイアンツを応援。心は阪神タイガースでした」
愛読紙は読売新聞とスポーツ報…ではなく、デイリースポーツ。ナント、有り難いことか…。
巨人軍の本丸にホンモノの虎党がいた良き時代。でも、だからこそ、平林の舌鋒の鋭さは半端ない。
「我慢出来ない気持ちですよ」
先日も阪神タイガースの現状について、そんな話をしてくださった。
昨シーズンの日本一を喜んだ平林だが、今シーズンは「言い出せばキリがない」ほどフラストレーションが溜まっているようだ。
「あれを誰も指摘していませんけど…」と、今シーズンの分岐点も語る。オフになれば「平林語録」をまた記してみたいが、さすがに今綴るのは毒気が強すぎるような…。
逆転負けした27日のDeNA戦でも「それにしても、きのうは…」と、止まらなかった。
本紙の阪神記事にも遠慮がない。
「関西のスポーツ紙は売れてる?デイリーさんはどう?ただただ野球の記事を載せていては何の提言もない。こちらは『読みたい』んですよ」
そんなお叱りを受けたこともある。
7月12日(中日戦)以来の4番復帰…大山悠輔が先制打を放った横浜第2ラウンドだが、一筋縄ではいかない。
かつて平林から「ずっと大山選手の4番説を書かれているけど、大山選手の特徴は?」と聞かれたことがある。
「俺が俺が…とならないところ」
僕はそんなふうに答えたが、4番だから「俺が俺がとなるべき」という人もいる。野球はそれぞれ見方があるものだけど、平林は自身の見解を他者に押しつけることはない。
「きょうの頑張りを期待して…」
やさしい眼差しでまだまだ連覇を信じている。=敬称略=