取材の限りの真実

 【10月13日】

 岡田彰布の監督退任が決まったのは9月29日の午後である。あの日、甲子園に隣接する球団クラブハウス2階の監督室をノックしたのは、オーナー杉山健博と球団社長の粟井一夫だった。

 監督室に入る杉山と粟井の姿は球団関係者数人に目撃されていた。が、3者しか知り得ない一室内の詳しいやり取りは…岡田も杉山も粟井も外部へ明かすことはなかった。しかし、過去の球団史で時にそうであったように、今回も阪神のトップシークレットは漏れた。3者会談から数日後に「退任」が明るみに出ると、取材の限り、岡田は憤りを隠さなかったという。

 秋の憂鬱が遍満したこの2週間。阪急阪神ホールディングス会長の角和夫が報道各社のインタビューで明かした「監督問題」への言及を発端に情報が渦巻き、臆測も様々飛んだ。

 岡田の矜持を察すれば「3年目への念い」があったのではないか-。真実を探す虎党の率直なギモンだと思う。 DeNAに大敗し、岡田阪神の終焉を迎えたこの夜、甲子園のスタンドは現役時代の岡田のコンバットマーチがいつまでも鳴りやまなかった。が、ベンチ裏へ消えた背番号80が再びグラウンドに姿を見せることはなかった。試合後会見した球団社長の粟井一夫によれば、岡田の体調が「思わしくない状態」で恒例のオーナー報告も退任会見も「体調優先」で見送られるそうだ。

 そんなふうに言われれば、それこそネガティブな臆測を呼ぶかもしれないが、退任の理由は「体調」によるものではなく、こちらも会見した杉山曰くシンプルに「2年契約の約束」が守られた、ということだという。

 この数日間の様相をリアルに書けば確かに岡田はしんどそうだった。ベンチからクラブハウスへの往復は階段を伴うが、僅か二階の上り降りをエレベータに頼り、この日はずっと腰に手を当てゆっくり歩を進めていた。

 岡田が大勢の報道陣に囲まれた「最後の会見」を覗けば、「らしさ」全開で、変な言い方だが少し安心した。

 「尻すぼみのチームになってしもうたもんな。去年がバッといきすぎたから…。それを継続できるくらいに皆が頑張って能力があればいいけど、その能力がなかったということや」

 66歳は笑みを交えそう言った。

 第1次政権が終焉した08年の秋、岡田はマウンドで被打した背番号22に涙で語りかけた。

 「お前で終われて良かったよ」

 あれから16年が経った。

 お前らで終われて良かったよ-。

 100周年の甲子園で、実は、心中で選手達にそう語りかけたかったか。いや、知将は宿題を出した。来年、虎戦士たちがそれを提出する先は…

 29日の3者会談で次期監督の候補者の名が出ることはなかった。数日後、球団から示された新監督の名は…。

 岡田は言った。

 「そうやと思ったよ」

 オーナー杉山をはじめ、至上事案に携わる要職、全会一致でその男に決まったという。岡田が信頼を寄せる後継者は、藤川球児である。=敬称略=

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