新井が祭壇に届けたもの
【6月28日】
高橋遥人の10勝目を見届け、広島駅へ向かった。道中ふと松とら屋の顔が浮かぶ。今でもその辺からあらわれ、「風さん!」と声を掛けてきそうな…この街を歩けばそんな感じがする。
今月8日に他界した元デイリースポーツの松下雄一郎は広島の街が好きだった。カープが好きだった。こんなことを書けば虎党から「まっちゃんは虎一筋や」と、お叱りを受けそうだけど、でも、鯉に特別な思いを抱いていたことは間違いのないこと。
なぜって、阪神時代に愛した新井貴浩という存在があるからだ。
新井が監督になってからも親しみを込めて「あらい~」と呼び、沖縄キャンプ、そしてシーズン中も激励に駆けつけた。デイリースポーツを退職した後もずっと。ガンを患い、余命宣告を受けていた前回の広島遠征でも…。
「2008年を思い出します」
まっちゃんは息を引き取る直前、ベッドでそう語った。
「オレ、あのとき広島市民球場でカープファンとやり合ってね…」
08年4月1日。新井がFA移籍後初めて広島に帰ってきた日のことだ。阪神のチームバスが市民球場の正面に着くと、待ち受けたカープファンから野次が飛んだ。そして、試合中にそれはどんどんエスカレートし…。
「帰ってくるな!」「裏切り者!」
新井が打席に立ったときのあの凄まじいブーイングは、取材者すべての鼓膜にはっきり残る。
「たとえ自分の記者人生が終わっても、あいつを守りたくて…」
あの時のカープファンの気持ちは痛いほど伝わっていた。それでも、中には許せない中傷もあった。だから、まっちゃんは……いや、やめておく。
「最後に新井に会いたかった。あいつの胴上げを見るまで生きたかった」
藤川阪神の連覇はもちろんのこと、「もう少し先になるかもなあ…」と言いながら、新井鯉の悲願を命を閉じたその日まで涙を流して願っていた。
松とら屋が旅立って初めての広島遠征は1勝1敗。何だかホッとしながら帰路につく自分がいる。実は、このカードの初日、マツダスタジアムの通路でカープの指揮官から礼をいわれた。 「先日はありがとうございました」 新井は今月半ばに神戸の松下家へ足を運んでいた。「できることなら、御線香をあげに行かせてもらいたい」。訃報が交流戦の遠征と重なり、最後のお別れができなかった。広島から単身赴き、祭壇の遺影を見ながら何か語りかけるように手を合わせた。「これを…」。家族に手渡したのは背番号25のユニホーム。そこに記したのは…
「まっちゃんへ。ありがとう」-。
そのひと言に「新井の心」がすべて詰まっていた。
来月はカープ戦が2度。次の広島遠征は半ばにある。今回は両軍ともに課題もたくさん出たけれど、その頃は互いにいい位置で勝負をしたい。
広島駅で新幹線を待つ間「むさしの御むすび」を買った。松とら屋が愛した味をかみしめれば、やはり、まだまだ寂しさが募る。 =敬称略=
