強い虎の球団社長とは

 【8月12日】

 球団史上初めて日本一になった1985年の阪神と、連覇を狙う今の阪神はどちらが強いか。そんなことを考えたことがある。野球そのものが変わったし、環境もまるで違う。

 だから個々の選手や数字を比べる自体、ナンセンスかもしれない。じゃ、なぜこの両年はチームが屈強で、しっかりV争いできるようになったのか。理由は限定されないだろうけど、これも一つでは…というものがある。

 阪神球団社長の粟井一夫は度々こんな言葉を発している。

 「チーム、フロントと親会社が一体となって戦っていく大切さ…」

 なるほど。球団史を紐解けば、その三者が「一体」でなかった時期は少なからずあった。球団と親会社の風通しが滞る…いや、そんなやさしい表現では足りないほど齟齬があった黒歴史も耳にしてきた。結束できない組織が脆弱になるのは必然だが、ならば、一体感を生むにはどうすればいいのか。

 ときの球団社長のポジション、あり様にヒントがあるような気がする。

 85年の球団社長には、阪神電鉄専務の中埜肇が就いていた。当時14歳の僕がその仕事ぶりを知る由もないが、取材すれば、温厚で橋渡しに長けた人。周囲を思いやり、中埜を知る人にいわせれば「あの人を悪く言う人を聞いたことがない」というほどの人格者…。

 そんなトップを突然失った猛虎が悲痛で沈み込むのは想像に難くない。

 きのうの続きを書く。

 この日、8・12は阪神球団にとって特別な日である。

 1985年の同日夜6時56分頃、羽田空港を離陸した伊丹行きの日本航空123便が群馬県上野村御巣鷹の尾根に墜落した。犠牲になった乗客乗員520人の名簿に中埜の名があった。41年前のこの日、金沢大経済学部2年だった粟井一夫は不意に目にした大惨事のニュースに言葉を失った。

 「とんでもないことが起こってしまったとしか…。記憶にあるのは、何名か生存者がいらっしゃって、その方々が救出される映像…。一人でも多く救出されてほしい、と。500名以上の乗客乗員で一人でも多く、と…」

 この夜、東京ドームで勝利を見届けた球団社長はそんなふうに述懐した。

 史上タイガースのトップになる人は電鉄役員を兼務する場合とそうでない場合がある。電鉄の役員を兼務すれば現場に100%専念できないマイナスもあるが、その一方で、プラスは情報共有と戦略的意思決定の早さ。粟井は常勤でないが電鉄役員に名を連ね、球団と本社のパイプ役としてリアルタイムで情報を共有。チームへの理解が深く協力を惜しまないオーナー秦雅夫への畏敬、双方の一枚岩ぶりが伝わってくる…この話はまた今度深掘りしたい。

 85年は日航機事故の8・12以降6連敗を喫したが、中埜への報恩を合言葉に結束。優勝、日本一へ突き進んだ。

 この特別な夜は森下&輝のアベック弾で快勝した。生え抜きコンビが25発を放つのは、あの85年、掛布&岡田以来…。天国から注がれる中埜の温和な笑みが連覇を後押しする。=敬称略=

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