阪神、藪恵一獲得の舞台裏 「逆指名」初年度…スカウト同士の熾烈な駆け引き

 今年もドラフトが終わった。1位は完全入札制でどの球団が誰を指名するかというドキドキ感があるが、かつて1993年から2006年まであった制度がいわゆる「逆指名」だ。希望入団枠など名前は変わり、最終的には裏金問題などで消滅した制度。ただよくも悪くも現制度とは違って、いかに逆指名してもらうか、スカウトの腕の見せ所でもあった。元阪神のスカウトの菊地敏幸氏は、逆指名初年度の93年に朝日生命の藪恵一(現恵壹)の獲得に奔走。他球団との熾烈な争いに勝ったのは、今でもいい思い出となっている。

  ◇  ◇

 1993年は逆指名の初年度で、注目が集まった年でもありました。この年、大学・社会人の選手では、神奈川大の渡辺秀一、関東学院大の河原隆一、NTT四国の山部太、そして日本生命の杉浦正則あたりが注目されていました。複数球団が彼らの獲得を目指す中、私は藪を追っていました。

 朝日生命は強豪ではなく、藪自身もそれほど注目を浴びていなかった存在です。それでも彼を追い続けていたのは、大学時代にホレ込んでしまったから。首都大学リーグ2部に所属していた東京経済大にいい投手がいると聞いて、試合のあった駒沢球場をのぞきにいきました。すると走っている姿が格好いい選手がいました。それが藪でした。投手としても打者としても、様になっているというか格好よかったんです。すぐに試合後、東京経済大の監督に「欲しいんですけど」とお願いすると、「もう朝日生命に決まっています」ということ。2年後の指名解禁を待つことにしました。

 そして2年後、順調に成長した藪を獲得したい私は、当時の横溝スカウト部長、渡辺スカウトにも視察をお願いしました。2人の意見は一致し、「藪で行く。菊地、何とかしろ」と。そこから藪に猛アタックすることになりましたが、球団は表では「阪神は日本生命の杉浦に行く」という情報を流しました。最終的に杉浦は社会人残留を選ぶのですが、マスコミが「阪神・杉浦」と書き立てたことで、私は地道に藪を固めることができました。

 だが8月か9月ぐらいだったでしょうか、渡辺、河原、山部の獲得に失敗した巨人が藪に動きました。ただ、その時の巨人の担当スカウトとは親しい間柄だったこともあり、「藪に行っているの?」と連絡が来たので「行ってます」と返すと「菊地がんばれ」と言って引き下がってくれました。藪も朝日生命の監督も「阪神一本です」と言ってくれて、あとはいつ発表するか時間も問題でした。

 しかし朝日生命の野球部部長が「もう少し他球団の話を聞きたい」と言ってきました。その部長は条件をもっとよくしようとしていたらしく、仕方ないので待つと、近鉄、オリックスが来ました。オリックスはすぐに撤退。そして近鉄が新宿のホテルで藪と話し合いをしました。私は近くの喫茶店で終わるのを待っていました。話し合いが始まってから2時間後ぐらいに藪が私のところに来たので、「条件は?」と聞きました。阪神が提示していた契約金は1億2000万円で、「近鉄は1つ(1億3000万)上か?」と聞くと返事なし。「2つ上か?」には「う、うん」と。「じゃあウチも1億4000万円出す」と球団の了承もなく、私の判断で上乗せして再提示しました。

 事後報告となりましたが、球団も了承してくれました。そして藪の指名発表に至りました。私としては会心というよりは、ホッとしたというのが正直な気持ちでした。入団後、藪と話をしたら「近鉄の提示した金額はもっと上でした」と明かされました。逆指名は今では悪しき制度と言われてますが、スカウト同士の駆け引きなど面白い面もありました。でもやはり現行の完全入札制が今の社会には合っているのでしょう。

 ◆菊地敏幸(きくち・としゆき)1950年生まれ。法政二から芝浦工大を経てリッカー。ポジションは捕手。89年にスカウトして阪神入団。藪、井川、鳥谷らを担当。13年限りで退団した。

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