【野球】暗黒時代の阪神を経験した内野手「強かったら、試合に出られたのかどうか…」明かした藤田監督への感謝
阪神、近鉄、楽天で内野手として活躍し、今年から独立リーグ・千葉スカイセイラーズのGMを務めている星野おさむ氏(54)。88年にドラフト外として入団した阪神には13年間在籍。レギュラーを取ることはできなかったが、ファンの記憶に残る鮮烈な一撃も放った。暗黒時代と言われた阪神の低迷期を経験した星野氏が、苦闘の日々を振り返った。
◇ ◇
ドラフト外で入団した苦労人の星野さんが、華々しくスポーツ紙の1面を飾ったことがある。
入団8年目の1996年6月8日に札幌・円山球場で行われた横浜戦。2点を追う五回表2死満塁の場面で代打起用されると、斎藤隆投手の速球を右中間スタンドに放り込んだ。劇的過ぎる代打逆転満塁弾。ダイヤモンドを一周したヒーローはナインから手荒い祝福を受けた。
「覚えてます。札幌ですよね。追い風が吹いてましたね。それで助けられてるところはありますよ。初球のインコース目のボールを見送って。満塁だったんで配球を読むうんぬんじゃなく、もう振るしかないし、斎藤さん、ストライクを投げてくるんだろうなって」
当時の光景を思い浮かべた。
この試合、阪神の安打数は横浜の8を下回る3。グレン内野手の中前打、新庄剛志外野手の内野安打に、四球で塁を埋めた状況で、星野さんは見事にワンチャンスをものにした。
満塁弾はプロ入り初。痛快な一撃は、ファンの脳裏にも強烈なインパクトを与えた。「ずっと阪神ファンの人には声をかけてもらった」と感謝する。
当時の阪神は「暗黒時代」と呼ばれる低迷期にあった。星野さんが1軍デビューした93年からのチーム成績は4位、4位、6位、6位、5位、6位、6位、6位、6位。だが、1軍生き残りに必死だった星野さんにチーム成績を心配する余裕はなかった。
「当時はもう、全然考えられなくって。今となったらね、チームが弱かったから(出られた)。僕と桧山(進次郎)さんにとっては起用してくれたってことに関して、藤田平さんは恩師なんです。ほんとに強かったら、試合に出られたのかどうかというのがある」
中村勝広監督の途中休養によって、2軍監督だった藤田氏が監督代行を務めた95年から星野さんは1軍に定着。チャンスを与えてもらったことへの感謝は強い。
96年に初の代打逆転満塁弾を放った翌日、藤田監督は、星野さんを7番二塁でスタメン起用した。星野さんは期待に応え、3安打の猛打賞と活躍したが手放しでは喜べない展開となった。
「1打席目でフェン直のヒットを打って。その後もヒットが出て。でもね、エラーしたんです。だから、レギュラーになれない。年間100試合以上に出た年って2回ぐらいでしょう」
よみがえったほろ苦い記憶は、さらに別の苦い記憶も呼び起こした。
「僕は、セ、パ両リーグで開幕戦にスタメンで出てるんです。阪神では吉田(義男)監督の時にショートでスタメンで出たんですが、大豊さんに悪送球をしてしまって、藪さんが炎上して…」。98年の横浜との開幕戦を振り返った。
開幕投手の藪恵壹投手は、星野さんが1イニング2失策を記録した四回に4失点。結局5回6失点(自責3)で降板した。翌日のスタメン・ショートには今岡誠内野手が起用された。続く第3戦も先発起用された、今岡内野手が、先発の野村弘樹投手から1号ソロを放ったことは、忘れられない記憶だ。
「自分は野村さんは相性が良かったんですけど。今岡が出て、ホームランを打って」
つかめなかったレギュラーの座。ただ内野のユーティリティープレーヤーとして生きる道を模索していったことが、のちの野球人生の幅を広げていった。
チームが弱く、監督交代が頻発したことで、多くの監督の考えに触れることもできた。村山実監督時代に入団し、1軍では中村監督、藤田監督、吉田監督、野村克也監督のもとでプレーした。さらに阪神の晩年には1、2軍を行き来したことで岡田彰布2軍監督との出会いもあった。
「最後の方は岡田さんと出会ってから数字が出るようになった。2軍ですけど。岡田さんは頭がいいし、言葉が面白かった。セオリー重視なんだけど、大胆な考えを持ってやることの方がいいんだと言ってくれたり」
多くの経験、多くの指導者との出会いによって、引き出しは確実に増えた。
「レギュラーを取れなくてよかったと思うのは、それだけ。負け惜しみですけどね」
星野さんは冷静に自己分析してみせた。
2001年、星野さんは阪神から戦力外通告を受けた。「13年も置いてもらったのはありがたいなと思うし、ちょっと期待してもらってたのに応えられなかったのもある」。阪神への感謝を口にしつつ、完全燃焼できなかった自分への複雑な思いを吐露した。
(デイリースポーツ・若林みどり)
星野おさむ(ほしの・おさむ)1970年5月4日生まれ。埼玉県出身。埼玉・福岡高から88年にドラフト外で阪神入団。93年4月に1軍初出場。2001年に戦力外となりテストを経て02年に近鉄入団。04年の分配ドラフトで楽天移籍、05年限りで引退。実働13年で738試合、1537打数387安打、打率・252、24本塁打、155打点、27盗塁。06~10年まで楽天コーチ。11年から四国IL愛媛監督、BCリーグ武蔵監督、福島GMなどを歴任し、25年1月に独立リーグ千葉のGMに就任。
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