岡田監督が守備にこだわる理由 吉田監督に「ピボットプレーは日本一」と言わせた現役時代【6】
開幕から1カ月が過ぎた。阪神は24試合で13勝10敗1分けの2位。上出来のスタートと言える。「守りよ。そら、守り勝ちよな」と岡田彰布監督は、わたしの問いかけに答えた。
「足、あし、あしい」-。守備の極意。1985年の吉田監督お得意のセリフと思っていたら、サンテレビで解説していた福本豊さんが全く同じことを言った。甲子園の広島戦で打球を追う中野に「足、あし、あしい」-。吉田監督の受け売りか、プロ野球界の共通語かは、知らんけど。
85年2月5日、コーチ陣とトラ番とのソフトボール大会。わたしはMVPに選ばれてポンカンをもらった。二塁守備。並木コーチの飛球に、両手捕りで伸び上がった。大きなボールをポンと空中に弾いた。しまったと思った次の瞬間、隣にいた大スポの記者が構えたグラブにすっぽり落ちた。
「デイリー改発記者のプレーは、甲子園でも見たことありまへん」と吉田監督が笑った。一枝コーチが「おまえほんまに野球やってたんか。フライは両手で捕るんと違う。グラブで捕るんや」。吉田監督は「ボールは落ちてきまっせ。ゴロはグラブに座布団が載っていると思って、下から出すんですわ」と教えてくれた。
キャンプ中は午後になると、二塁に固定した岡田と遊撃平田のコンビがサブグラウンドで、来る日も来る日もゲッツー守備を繰り返した。
一枝コーチのノックが延々続いた。キャンプが終わるころには吉田監督に「岡田のピボットプレー(併殺からの送球)は日本一です」と言わせた。
タイガース伝統の内野守備。遊撃吉田、三塁三宅、二塁鎌田は巨人の長嶋、広岡、土井にすら一目置かせた。捕るが早いか投げるが早いか。今牛若丸と言われた吉田の守備。早すぎて、一塁遠井がベースに入れない。
「ほんまです。よっさんがおもしろがってどんどん早く投げてきよる。しまいにわしは最初から一塁ベースに着いてましたわ」と遠井本人から聞いたことがある。吉田が直接一塁に投げず一度、二塁の鎌田に投げてから一塁に転送したというタイガース伝説。「ああ、ありましたなあ。二塁に走者がいてちょろちょろするから、ゴロ捕ったよっさんに、こっちや言うて投げさせたんや。それからでも打者は楽々アウトにできた」と鎌田は言っていた。
鎌田もまたバックハンドトスを日本球界で、初めて成功させた名手として知られた。近鉄に移籍すると「遊撃手がついていけない」という理由で、バックハンドを封印された。
「鎌田も早かった。競争ですわ。意地になって早ようにベースに入る。鎌田がいたから吉田がいた。吉田がいたから鎌田がいた、よう言われましたけど、その通りですわ」
吉田のこだわりは岡田、平田に引き継がれた。甲子園の初回、85年当時は一塁ベンチから守備位置に向かった。投手以外だれ一人、内野の黒土を踏まなかった。黒光りする土に足跡はつけない。ファウルゾーンから遠回りし、守備位置に向かう。甲子園に対する畏敬の念。阪神の伝統だ。
金本がFAで阪神に来たとき、黒土のど真ん中を歩いた。マウンドの横から左翼まで一本の足跡が残った。岡田が二度目の監督となった今は、試合開始前に選手は右翼付近で体を動かす。自然に黒土を踏まずに守備位置へと向かう。
三宅、吉田、鎌田、遠井から掛布、平田、岡田、バースに。そしていま佐藤、木浪、小幡、中野、大山へと伝統は引き継がれる。日本一の甲子園には、日本一の内野守備が似合う。内野が締まれば、外野にも伝わる。
「打者は打つときもあれば打てないときもある。投手も抑えるときも打たれるときもある。けど守りは違うやろ。試合が崩れることないよ。いまはな」。だから岡田は守備にこだわる。(この項続く=特別顧問・改発博明)
◇改発 博明(かいはつ・ひろあき)デイリースポーツ特別顧問。1957年生まれ、兵庫県出身。80年にデイリースポーツに入社し、85年の阪神日本一をトラ番として取材。報道部長、編集局長を経て2016年から株式会社デイリースポーツ代表取締役社長を務め、今年2月に退任した。