阪神・村山実監督「じろうー、おまえがトラ番コーチや」 掛布、岡田、真弓が笑って見る【18】

 夏の遠征が始まる。死のロードは死語になった。冷房の効いたドーム球場と快適なホテル。灼熱(しゃくねつ)の夏は逆に、遠征の方が甲子園より過ごしやすい。

 「選手はちょっと楽になるでしょう」とテレビインタビューの最後に阪神・岡田彰布監督は答えた。65歳。同年代だから分かる。甲子園のベンチを離れられる安堵(あんど)感がにじんでいた。

 巨人、広島と続いた甲子園6連戦。プロ野球にふさわしい攻防だった。勝っても負けても最後まで目が離せない。

 見ていて心臓がバクバクするのだから、ベンチにいる岡田監督が心配になる。スタメン、継投、代打、代走、守備、バント、盗塁、スタート。原監督だけでなく、若い新井監督ともめまぐるしい読み合いだった。ベンチも熱かった。

 甲子園球場の夏は暑い。そして冬は、寒い…。わたしは身をもって体験した。「トラ番も戦力や」と言ったのは星野監督ともうひとり、村山実監督だ。村山監督は「だからトラ番も、選手と一緒に練習せい」と言い出した。甲子園の合同自主トレ。1988年1月のことだ。

 「SSK、ちょっと来てくれ。トラ番全員にサイズ聞いてジャージーを作ってくれ」。村山監督は契約していたスポーツメーカーの担当者を呼び、甲子園のベンチで約20人の注文書まで作った。そろいのジャージーを着たトラ番の練習が、翌日から始まった。

 「じろうー、おまえがトラ番コーチや」と当時フロントにいた上田次朗さんを呼んだ。選手の練習するすぐ隣で、トラ番に号令が飛んだ。「はい腹筋、行きます。イーチ、ニイー。わしこんなことするためにタイガース入ったんと違うんやけどなあ」と上田トラ番コーチはぼやいた。

 不摂生を絵にかいたような生活をしているトラ番記者たちは、すぐに悲鳴を挙げた。外野芝生で腕立て、腹筋。内野の土でダッシュの繰り返し。2人一組で背負いながらのアルプス登り。リタイアが続出した。

 「もうついて行けません」と倒れこむトラ番を、隣から掛布や岡田、真弓が笑って見ていた。取材に来ている甲子園でダウンしていては仕事にならない。練習禁止令を出す社まで現れた。

 「寒い中で汗かいたら風邪ひくやろ。風呂に入れ」。驚いたことにトラ番専用に、村山監督が風呂を用意してくれた。甲子園の一塁ベンチ裏には、審判が使う岩風呂があった。それをトラ番のために沸かしてくれた。真冬の甲子園で汗をかき、熱い風呂に入る。

 「ああ、最高の気分やなあ」と風呂を出るころには、取材すべき選手はもうひとりも残っていなかった。「一緒に練習すれば、選手の気持ちも分かってええ原稿が書けるやろ」というのが村山監督の理屈だった。

 30歳になったばかりのわたしは、元気に練習をこなせた。それでもいい原稿どころか、取材する余力も残っていなかった。トラ番の自主トレは1月いっぱい続いた。

 「これでええんやろか」とそのときは思った。わたしは兵庫県立龍野高校で野球をしていた。甲子園を目指していた。最近になってふと思った。「村山監督のおかげで夢がかなえられたのではないか」-。甲子園の土を踏むことができた。

 龍野高校では捕手で3番。キャプテンだった。3年夏の兵庫大会は準々決勝で社高校に負けた。ベスト8。そのことを阪神の近本に話した。すると近本は…。(特別顧問・改発博明)

 ◇改発 博明(かいはつ・ひろあき)デイリースポーツ特別顧問。1957年生まれ、兵庫県出身。80年にデイリースポーツに入社し、85年の阪神日本一をトラ番として取材。報道部長、編集局長を経て2016年から株式会社デイリースポーツ代表取締役社長を務め、今年2月に退任した。

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