阪神・岡田監督が色紙に「道一筋」と書く理由 「道一筋が球道一筋となる日」【16】

 「まだ10本やろ」という阪神・岡田彰布監督の感想が正直だ。佐藤で勝った試合より、佐藤で勝てなかった試合の方が多い。それでもあんなホームランを見せられると、ほったらかしにはできない。近本がいない。湯浅もいない。外国人は戦力にならない。青柳も出遅れた。多くのマイナスがありながら前半戦を貯金11の首位で折り返した。

 キャンプから続けた「岡田の教え」がチームを粘り強くした。内野は中野、木浪の二遊間がピンチを救い、一塁大山が締めた。外野は低く早い送球。個人の安打数ではなく出塁にこだわる。数を増やすだけの盗塁ではなく、意味のある盗塁。投手は状況を考えて、球をコントロールする。

 難しい「教え」はない。当たり前のことを当たり前にする。岡田監督自身も自然体を貫いている。65歳。孫の応援に表情を緩める。喜怒哀楽を無理に隠さない。しゃべることがない試合は、トラ番に囲まれても無視する。それでいい。

 サインを求められると必ず「道一筋」と書き加える。2004年、初めて阪神監督となったときから、自らの監督人生を「道一筋」という言葉に託した。座右の銘は二代目ミスタータイガース村山実から学んだ。

 「村山さんのサインが大阪の実家に飾ってあった。そこに『球道一筋』という文字が添えられていた。居間と言うんか、毎日見えるとこにあったから。子供のころからずっと、球道一筋という言葉が頭の中にあった」

 負けず嫌いで、だれよりも阪神を愛した。通算222勝。「球道一筋」と呼ぶにふさわしい野球人生だった。父・勇郎が親しくしていたことで、引退試合では岡田少年がキャッチボールの相手をした。

 「村山さんの言葉を使わせてもらった。そのままでは失礼なので、球を外して道一筋とした。球には王の字がある。監督となって最初から王という言葉を使うのはおこがましい。あくまで王の道を求めるという姿勢でいたい」

 監督としての頂点を迎えたときに初めて、道一筋という言葉に球の字を添える。「道一筋」を「球道一筋」と書ける日を目指して、岡田彰布の阪神監督人生は始まった。一筋の道をたどる阪神監督としての旅。岡田と村山。最大の共通点は、阪神タイガースへの愛だろう。

 1988年、村山監督は52歳。トラ番のわたしは31歳だった。いま岡田監督を囲むトラ番たちも、ほとんどが親子以上に歳の差がある。「お前なあ」とトラ番に語り掛ける岡田監督の姿は、ある意味ほほえましい。村山監督に「お前」と呼んでもらったことはないが、ことあるごとに「トラ番も戦力や」と言われたものだ。

 監督就任直後には「ユタカ(江夏)もブチ(田淵)もタイラ(藤田)も帰ってこい」とコーチ就任を呼びかけた。「今からブチに会いに行く」と突然、甲子園の球団事務所から伊丹に向かった。羽田に着くと、ターミナルバスの中で「トラ番集まれ」と慌てて同行する記者を手招きした。

 「ブチに入団交渉する。村山タイガースならいいが、阪神タイガースは嫌やと言うとる。あんたらトラ番からも説得してくれ」と言われてホテルの部屋まで通された。説得は通じなかったが、今では考えられない体験だった。年が開けるとさらに驚くべきことを、村山監督はトラ番に言いだした。この話は次回に…。(特別顧問・改発博明)

 ◇改発 博明(かいはつ・ひろあき)デイリースポーツ特別顧問。1957年生まれ、兵庫県出身。80年にデイリースポーツに入社し、85年の阪神日本一をトラ番として取材。報道部長、編集局長を経て2016年から株式会社デイリースポーツ代表取締役社長を務め、今年2月に退任した。

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