「トラ番も戦力や」と言った阪神監督 星野仙一監督ともう一人 記者に「選手と一緒に練習せい」【17】
阪神・岡田彰布監督は声援に応えて3度、観客席へ右手を挙げた。勝ち投手の伊藤将は少年の声に立ち止まり、ボールか手袋か手に持っていたものをプレゼントした。神宮球場は試合後、三塁側のフェンス沿いに監督、選手は歩く。ロッカーを抜けて、帰りのバスに向かう。
暗黒時代には物が投げ込まれることもあった。監督、選手にはトラ番記者が追いすがる。勝って引き揚げるときは、トラ番も安心できる。
「とらのしっぽ」を書いていた前回は、岡田監督に密着していた。神宮で試合後に歩いているとき、観客席から罵声が飛んだ。岡田監督もにらみ返し一触即発の空気になった。「どうしよう」と監督の隣で固まったわたしは、いざとなったら自分が盾になるしかないと思った。
チームと行動を共にするトラ番はときに喜怒哀楽を共有してしまう。「トラ番も戦力や」と言った監督が、わたしの知る限り2人いた。ひとりは星野仙一監督。就任直後に「タイガースが優勝するためには電鉄本社、球団フロント、OB、監督、コーチ、選手の力が必要なのは言うまでもない。加えてファンの応援。最大なのはトラ番の影響力や。トラ番も戦力なんや」と言った。
関西ではデイリーだけでなく他のスポーツ新聞も、タイガース話題で1面を作る。スポーツ紙の1面が阪神の人事を決める、と言われるくらいファンへの影響力がある。名古屋の中日や東京の巨人は、親会社がスポーツ新聞を持っている。阪神では全紙が競争して、阪神の話題を提供する。
星野監督は「タイガースのために、トラ番には協力して欲しい」といきなり頭を下げた。同時に具体的な協力内容を提案した。トラ番を集めて「頼みがある」と切り出した。
「わしはドラゴンズの星野や。タイガースファンは簡単には受け入れてくれん。どうしたらわしをタイガースの星野として迎え入れてくれるのか。知恵を貸してくれんか」
ミスタードラゴンズと呼ばれた選手だ。2001年までは中日監督で、2002年からいきなり阪神監督。阪神ファンに「なんで星野が阪神や」とブーイングがあったのは確かだ。本人が一番感じていた。
デイリーのトラ番キャップが、星野の課題を持ち帰った。各社が記名で、プランを提出するという。報道部長をしていたわたしは即座に答えを出した。「ミスタータイガースの墓に詣でるべし、とメモに書いて渡せ」。キャップはその通りにした。
1週間後、星野は田淵、島野両コーチを伴い、真っ白のユニホーム姿で藤村冨美男、村山実の墓に手を合わせた。「わたくし星野仙一が、タイガースの監督をやらせてもらいます。どうか見守ってください」と花を手向けた。
効果は抜群だった。スポーツ新聞が1面で伝え、テレビ各局が墓参りの映像を流した。「さすが星野。心意気を見た。ええ男や。応援するで」とファンの心が一気に動いた。ホームの白いユニホーム姿で田淵、島野を連れてとまでは、デイリーからのメモには書いていない。
後日この話を岡田監督にしたら「なんで俺が監督するまで、そのアイデア取ってなかったんや」と叱られたが…。劇場型のパフォーマンスは、星野監督の得意とするところだった。トラ番がうまく使われた、とも言える。
「トラ番も戦力」と言ったもうひとりは、村山実監督だ。村山監督は「トラ番も戦力やから、選手と一緒に練習せい」と言い出した。「いやそれは戦力の意味が違うのでは」というわたしの声は聞き流された…。(特別顧問・改発博明)
◇改発 博明(かいはつ・ひろあき)デイリースポーツ特別顧問。1957年生まれ、兵庫県出身。80年にデイリースポーツに入社し、85年の阪神日本一をトラ番として取材。報道部長、編集局長を経て2016年から株式会社デイリースポーツ代表取締役社長を務め、今年2月に退任した。