【野球】急逝から15年 盟友、木村拓也さんへの思い 追悼試合で代打逆転満塁弾の元巨人・谷佳知氏
オリックス、巨人で19年にわたって外野手として活躍した谷佳知氏(52)が亡き盟友への思いを明かした。2007年にトレード移籍した巨人でチームメートとなった木村拓也氏。ともに移籍組で同級生だった2人は固い絆で結ばれていた。2010年4月2日にグラウンドで倒れ、同7日に37歳の若さで旅立った盟友との思い出を振り返り、尊敬と感謝を伝えた。
◇ ◇
「もう、15年ですね」
谷さんは遠い目をしてつぶやいた。プロ野球界で数少ない「親友」と呼べる存在だった木村さんがこの世を去ってから15年になる。
同級生だった木村さんとは、巨人移籍をきっかけに親交を深めた。木村さんは、2006年シーズン途中に広島から移籍。後を追うように谷さんは同年11月にオリックスから巨人入りした。野手では唯一の同級生。2001年のオールスターにともに出場し、04年のアテネ五輪では共に日本代表として戦っており、距離はすぐに縮まった。
「ジャイアンツってやっぱり特別な球団じゃないですか。いろんなことを教えてくれたんです。気が回るんですよ。すごい仲良くなって食事をするようになって。キャンプの休みの日も一緒にゴルフに行って」
そんな盟友を悲劇が襲った。現役を引退し1軍の内野守備走塁コーチとして迎えた10年シーズン。4月2日の広島戦(マツダ)の試合前、ノッカーを務めていた木村さんは突然倒れた。ベンチ前でストレッチをしていた谷さんは、騒然としたホームベース付近で起こっていることを、すぐには理解できなかった。救急車が到着するまでの時間が長く長く感じられた。
病院へと搬送された木村さんは5日後、力尽きた。37歳。くも膜下出血だった。
倒れた当日も、谷さんは、練習開始前にいつものように木村さんと何げない会話を交わしていた。単身赴任中だった木村さんが朝一番で広島入りして家族と時間を過ごしたこと、散髪に行ってきたこと。「家族と会えたからよかったみたいな話をしてたんです」と振り返る。
木村さんの陰の努力を見てきた。
「選手を終わって、すぐにコーチになって。ほっとする時間がなかったのかなって。あいつはきっちりしたい、なんでもきちんとするタイプだったから、めちゃめちゃノックの練習もしてたんですよ。キャッチャーフライとかって難しいですからね」
現役最後の年に見せたユーティリティープレーヤーとしての神髄とも言うべき姿を忘れることはできない。2009年9月4日のヤクルト戦(東京ドーム)の延長十一回。加藤健捕手が頭部死球で交代し、ベンチに捕手がいなくなった緊急事態で木村さんはマスクを被った。プロ入団時は捕手ながら外野手を経て内野手に転向しており、捕手を務めるのは広島時代の1999年以来10年ぶりのことだった。
「キャッチャーがいなくなった時、拓也は率先して準備をしに行ったんです。ミットを借りて受け出して。俺の番やな、俺がやらなって思ったんでしょう。そのあとピッチャー3人を受けてるんですよ。すごいな、やるなと思いましたね」
鶴岡一成捕手にミットを借りた木村さんは1イニングで3投手とバッテリーを組み無失点で切り抜ける離れ業をやってのけた。自分に求められる役割を常に考え、実践した盟友の頼もしい姿が、谷さんにはありありと浮かんでいるようだった。
そんな木村さんへ、谷さんは惜別のホームランを贈っている。
追悼試合となった10年4月24日の広島戦(東京ドーム)。1点を追う八回1死満塁で代打として打席に入り、高橋建投手の直球をとらえた。渾身の一撃は、左中間席への逆転満塁弾となった。
「あの時はほんとにホームランを狙いました。ホームランしかないって思ったんで。なんか降りてきたというか、打たせてくれたんかなって感じでしたね。スーッとボールが入ってきたんです」
ヒーローインタビューでは思いがこみ上げ涙があふれた。「なんか言葉が詰まってきて。いい思い出をたくさんくれたんで、ありがたいなと思いながら。ほんとに思い出深い選手なんでね。僕の野球人生の中で1番の試合です」
木村さんの遺品となった携帯電話に、谷さんと一緒に写った写真がたくさん保存されていたことを後日、由美子夫人から教えられた。
「僕の誕生日がキャンプ中の2月9日なんで一緒に祝ってくれたりしてたんです。ケーキを渡してくれてる写真とかがあって」。あまりの仲の良さに「奥さんとかから“あやしいよ”って突っ込まれて」。チームメートとなってからの日々を懐かしんだ。
「ずっと思いはあります。命日には、自分は頑張ってるよって伝えるつもりです。『コーチをやれ』って言われるかもしれないけど」
谷さんは天国の木村さんとのやりとりを思い描いた。(デイリースポーツ・若林みどり)
◇谷佳知(たに・よしとも)1973年2月9日生まれ。大阪府出身。現役時代は右投右打の外野手。尽誠学園から大阪商大、三菱自動車岡崎を経て、96年度のドラフト2位でオリックス入り。2007年にトレードで巨人に移籍し、14年にオリックス復帰。プロ19年で1888試合に出場、打率・297、1928安打、741打点、167盗塁。96年アトランタ、04年アテネ五輪日本代表。
関連ニュース
編集者のオススメ記事
インサイド最新ニュース
もっとみる【野球】巨人・山崎伊織をよみがえらせた阿部監督の言葉とは? オープン戦不調、2軍戦視察で厳命 見えた強さの理由の一端
【スポーツ】なぜ?青学大・原監督が世界陸上マラソン代表・吉田祐也を国内準高地で強化する理由 “原メソッド”の判断とは
【野球】先輩からの「バカか」で引退を決意 ユーティリティープレーヤーは指導者に
【サッカー】J1首位町田の去年と大きく異なる強さとは 黒田体制3年目-地力の強さでさらなる進化へ
【野球】兄は大人気アイドル 元甲子園球児・田中彗さんが役者に転向したワケ
【野球】日本ハム・吉田 技あり弾呼んだ“もう1本のバット” 4日オリックス・宮城から逆方向に
【野球】消滅した近鉄最後の打者 本拠地最終戦ではサヨナラ打 歴代監督らOBからの「ありがとう」に感動
【野球】阪神・木浪の先制打が生まれた理由 勝負の準備凝縮、個々のルーティン持つ1・5メートルの聖域