【野球】兄は大人気アイドル 元甲子園球児・田中彗さんが役者に転向したワケ
二松学舎大付3年夏に甲子園で登板し、昨年まで社会人野球のテイ・エステックでプレーした田中彗(すばる)さん(25)は、今年から役者に転身した。5人兄弟の末っ子で、四男は大人気アイドルグループのメンバーである田中樹(29)。芸能界で活動する兄たちの中で野球を貫いた背景や、同じ道へ進む決断に至った理由を聞いた。
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ハイトーンの髪色に、現役時代から体重を20キロ落とした引き締まったスタイル。マウンドから舞台を移した彗さんは新たな道をまい進している。
2017年、二松学舎大付3年夏に甲子園へ出場し2試合に登板。プロ入りを志し、社会人まで計19年続けた野球に対する原動力は、反骨心だった。長男の一成さんは芸能プロダクションの代表を務めており、次男、三男、四男はいずれも芸能界に身を置く“芸能兄弟”の末っ子。「自分から甘えることはないけど、甘やかしてくれます」と笑って関係性を明す一方、「昔は『弟』と言われるのがすごい嫌で。野球で有名になりたいと思っていました」と率直な思いを語った。
「『プロ野球選手にならなきゃ意味がない』みたいに思ってしまっていました」と当時の苦しい胸の内も吐露。それでも転身を決意したのは、故障の影響だった。大学4年時と社会人2年目にトミー・ジョン手術を経験。「手術をしても頑張ろうと思っていたんですけど、ピッチングをしている時に、ちょっと限界かなと…」。半年ほど悩んだ末に決断した。
「兄弟が兄弟なので、最初に来た選択がこれだった」と芸能の道へ進むことは自然だった。下積み時代を経て幅広い活躍を見せる四男・樹の存在も決断を後押し。「一番仲良かったお兄ちゃんの活躍を身近で見て、純粋にかっこいいなと。今は尊敬の目で見ています」と心境の変化もあった。
野球での経験も、決してムダではない。中学時代は170センチ、56キロと細身だったこともあり「クラブチームの友達の“サブ”みたいな形で」名門の二松学舎大付へ。それでも、食事トレーニングで体重を10キロ増やすなど地道な努力で甲子園登板を果たすまでに成長した。さらに「人間性をすごい重要視していた」という同校の教えは「違う仕事になっても、私生活でも生きている」と道しるべとなっている。
貫き続けるモットーがある。「ダメだったとしても、チャレンジしなきゃ始まらない。野球をやっている時も、引退する時に『もっと練習しとけば良かった』と思わないようにとずっと思っていました」。初舞台を終えた現在は、稽古に励むなど「丸一日休みの日はあまりない」という中で、TikTokでのライブ配信にも注力。ジャンルを問わず「やれることは全部チャレンジしていきたい」と精力的に挑戦を続ける。
「芸能の仕事は見てくれる人がいなきゃ成り立たないので、自分を世間にアピールしていかなきゃいけない難しさはあります。アピールポイントは、ずっと野球しかやってこなかったので、うぶさ(笑)。今応援してくれてる人と一緒に成長できたら」
新たな道で目指すのは-。「『田中彗』という一人の人間として評価されて、いろんな媒体で活躍できる存在になりたいです」。夢を追う原石が、自らに磨きをかけていく。(デイリースポーツ・間宮 涼)
◆田中 彗(たなか・すばる)1999年7月14日、25歳。千葉県出身。小学1年から沼南フラワーズで野球を始め、中学ではオール沼南ベースボールクラブに所属。二松学舎大付では2年秋からベンチ入り。平成国際大を経て、テイ・エステックで昨年までプレー。最速150キロ。憧れの野球選手はドジャース・山本由伸。2月に中目黒キンケロ・シアターで行われた「正義の味方~ジャスティス・タクティス~」で初舞台を踏んだ。
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