あいみょんの涙で思い出す
【2月2日】
あいみょんの沖縄ツアーへ行ってき…いや、なんでもない。節分公演へ…いえ、なんでもありません。しかし、2月のアタマに西宮の歌姫がウチナーでライブをするとなれば…
しかも、2days。テンションは上がる。ありがとう、沖縄アリーナ。
『愛の花』……泣いた。
「涙は明日のため」-。この歌詞を聴けば、あいみょんが甲子園球場のライブで流した涙を思い出す。『tower of the sun』を熱唱しながら泣いていた。西宮で生を受け野球の聖地へ凱旋した彼女は、同級生や先生に「夢」を笑われた過去、挫折にまみれた若かりし日を回想し、涙腺が崩壊…かっこよかった。
阪神キャンプ2日目。快晴の具志川でくちずさんだ。空が晴れたら~♪
「風さん、今年もよろしくお願いします」
原口文仁と「元日」の挨拶を交わした。そういえば…活気に満ちたその顔を見て思い出した。新人だった10年。フミが西宮で涙を流した日があった。
帝京時代から古傷=腰痛を抱えていたので、球団方針によって、打撃守備ともに稼働の制限が設けられていた。
ドラフト6位から成り上がり、レギュラーを獲るためにハードワークしたい。練習に飢えていた。しかし、OKが出ることはなく…そんなある日、鳴尾浜の食堂から嗚咽が漏れた。
「練習、やりたいです…」
2軍本隊は遠征中で残留組は朝から練習メニューが組まれていたが、故障者は別メニューを余儀なくされた。
「懐かしいですね。そうそう。食堂でした。確か、ムネさん(嶋田宗彦)とか、筒井壮さんが居てね…」
ファームキャンプの具志川で当時を振り返ってもらえば、フミははっきり覚えていた。もちろん、僕は伝聞でしか知らない。
泣いていた…って聞いた。
「はい。でも、そんな号泣とかではないですけど…。なんとか練習をやらせてもらいたくて…。でも、コーチからは『やめておこう』って」
そんな昔話をしていると、2軍監督の平田勝男が通りかかった。
「フミ、お前、腰が痛くて練習できなくてな。故障とも闘ったからな。背番号も3ケタになったり…苦労の度合いが違うよな」
原口が新人の年の2軍監督でもある平田は15年前の涙を懐かしんだ。
原口は練習の虫か?あらためてそう聞けば、平田は言う。
「具志川組では原口、糸原だな。いい選手はみんな練習する。俺は2年間(1軍を)見てきたけど、近本や木浪らもそう。みんな球場へ早く来て…あれがルーティンになってるから。言葉では『追いつけ追い越せ』って言うけど、1軍の選手はめちゃめちゃやってるから。ファームの選手はよっぽど正念を入れてやらないとなかなか…」
「勝男節」に説得力が帯びる。
あの涙の記憶、そして、練習をしたいという「初心」についてフミは…
「今も、変わらずです」=敬称略=
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